自殺志願者のドクオは、当たり前の如く自殺しようとして、自殺志願者卒業者(死的な意味で)の兄者を見つける。
自称『天才科学者』のは瀬川の手によって、脳移植を施され、命以外の自分のもっていないものを持っている兄者の体を手に入れたドクオは兄者として生きる、ようです。
すごい怖かったです。何でだろう。
こういう精神と肉体がどうたらという話は、どう転んでもハッピーエンドにはならないんですかね……。
両方生き延びたけれど、両方幸せじゃないエンドというか。
まぁ脳味噌のみ、意識のみをその人本人だと断定していいのか私には分かりませんが。考える気がしねぇ。
読んでいる途中で何かものすごい気分になりました。
鏡に向かって「お前は誰だ」と行ってる時の感覚。と、思ったら同じような事をドクオがやってました。
ゲシュタルト崩壊しちゃうので全うな思考が大事な人は真似しちゃだめですよ。
ゲシュタルト崩壊であってんのかな。
ドクオとしての意識が無いなら、エピローグのドクオはドクオじゃ無いと思う今日この頃です。
脳味噌の意識は記憶含め外からの刺激によって作られるものだと思っているので、兄者として兄者の体を使っていてその上ドクオとしての最後のとっかかりの『記憶』がなくなったら、それはもうドクオの脳味噌じゃない気がする。
だからと言って兄者の脳味噌という訳じゃないから、
うん、訳が分かりません。
ゲシュタルト崩壊怖いよゲシュタルト崩壊。
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